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動画 The Big Bang Theory
最近、思考がインスパイアされた動画。
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2009/08/21 03:48 |
「思考」への懐疑(「同じ」はない?)
哲学とは、
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2009/08/19 22:49 |
自己は成り行きの産物
「自己」は、進化の結果である。
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2009/06/23 00:37 |
知欲
私は個人である前に生命である。世界に放り出されている。
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2007/06/25 21:18 |
時の最先端を味わいたい
あるのは変化だけなのだ。とすれば自己とは変化が通り過ぎた後に一連の出来事から構成された残骸に過ぎない。変化の最先端を進む一点が「それは自己ではない、それは自己ではない」と呼びかける。私たち人間が意識できるのは本来的な現在ではなく、記憶である。私たちは動いてしまった後に自分のした事を知る。そこに意味を付け加える。私たちの動作は普通に考えられているよりも「死物狂い」である。そこに思考というものが入り込む余地はない。次から次へと新しい世界に対して新しい反応を起こしている。
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2007/05/27 03:31 |
「暗黙知」なんて言葉はいらない
暗黙知と形式知はどこが違うか、という問いをたてる事が馬鹿らしく思えた。
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2007/04/18 19:06 |
構造主義・関係主義・スケープゴート・聖なるもの
[知識]
構造主義とは「主体中心主義」をのりこえ、「主体」を包み込み、「主体」の思想と行動を決定付け軌道づける「構造」の概念をもって文化と社会の理解を一変させた。つまり、文化とは意図や意識の集合体ではなく、意図が起こる前から、一貫した構造が無意識に存在しているのである。
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2007/02/11 17:11 |
科学について
時間・空間・言語は人間が作り出したものにすぎない。人が安定した生活ができるために便宜的に作り出されたものなので、世界の本来の姿とは関係ない。原子論はある特定の観察の仕方に基づくひとつのモデルにすぎないし、ビッグバン仮説は因果論と等質な時間を信じたときにだけ有効である。
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2006/12/11 02:37 |
世界とは何か
世界とは何かを問おうとするなら、まず人間だけが持つ性質を全て放棄しなければならない。それは言語であり時間意識であり空間意識である。なぜならこれらの概念は人間が生存と生活のために便宜的に作り出した物なので、世界とは何かという究極に本来的な問いの前では無化してしまうからだ。
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2006/11/26 20:26 |
「時間」についての考察
いったん「未来」という概念をきれいさっぱり放棄してしまおう。「今」こうすれば→「未来」にこうなる、といった因果論的記述は言ってみればモデル化であって、ほんとうの「現実」ではない。実際に現実において在るのは、「今」という瞬間とそれをゆったりと包み込む持続する「過去」だけである。
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2006/11/20 02:31 |
解決不可能なこと
人間は何て不安定な動物なんだろう。
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2006/08/20 10:54 |
<僕>とは何か?
僕にしかできないこと。僕だけが持つ世界で一つだけの価値。
そういうものが僕の内側にある、と考えるとうれしくなる。
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2006/08/12 20:30 |
ひとまず・・・
このブログをはじめてから1年とちょっと経ちました。しばらく書き込みを休んでたけど、その間にたくさんのことを考えていました。前に言葉で言い表しにくかったことが今では少しは表現できるようになりました。ひとまず、今の僕の思っていることを聞いて下さい。
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2006/08/10 22:34 |
格言
盲目的に目標をかかげ突っ走る青年が、やがてそれに挫折する。そこで止まっては行けないのだ。現実を直視しても、それでも進んでいこうとする意志をもつ人間が、より輝かしい世界に飛び込めるのだ。今度は、「盲目的に」ではなく、「現実に抗いながら、一歩一歩力強く」。
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2006/03/04 00:59 |
善悪の彼岸
ニーチェのこの有名な著書から一部引用する。
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2005/08/28 01:09 |
裸
『知の技法』という本がある。東京大学文科系学部の必修科目である「基礎演習」のサブ・テクストが市販されたものである。どんなものかとパラパラとめくってみて、まず読みたくなるのが「レトリック」の項だ。ここではマドンナのヌード写真集「SEX by MADONNA」を素材に「映像を読む」とはどういうことか、を考察している。この項の中にはいくつかのヌード写真の引用があるのだが、まじめな本を読む姿勢でいた私は、不意打ちを食らったという感じで、一瞬たじろいでしまった。しかし、まさにこの「たじろき」こそこの項の...
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2005/07/30 05:23 |
ニーチェ
西洋哲学とはドミノ倒しの先端を追いかける旅だった。問題を論理的に考え、解くと、また新しい問題が出現する。ドミノを追いかけるのに疲れ、息を切らした哲学者たちを喝破したのがニーチェである。「私達は無限の中に生きているが、その無限と言う概念自体を考えることに意味はない。無駄なことはやめろ。くだらない夢を見るな。それよりも現実に目をむけろ。自分の外にある価値(真理)に依存するな。永遠に繰り返される世界を肯定し、自分で価値をつくれ。」
このニーチェの思い切りのいい主張に多くの人が共感した。
しかし...
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2005/07/22 18:18 |
アートマン
私達は永遠の中に生きながら、それを把握できずに彷徨ってる。しかし時にその概念に非常に接近する人物も現れる。たとえば仏陀は苦行し、菩提樹の下で悟りを得た。悟りとは宇宙の真理であるブラフマン=アートマンを会得することだ。インド古代の宗教哲学書ウパニシャッドには「アートマンとはそのものよりもさらに大きいもの」と記されている。ブラフマン(=アートマン)は宇宙に満ちあふれている、あるいは宇宙そのものだと言われるがその大きさを把握しようとした途端、それは逃げさってまた理解できない概念に膨れ上がる。まるで数学...
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2005/07/22 00:17 |
有限性の思考を超えて
私は有限性の思考の枠組みの中でしか物事を考えていなかったのである。有限とは、始まりがあって終わりがあること、無から有が生まれてまた無に戻ること、である。日常生活を営んでいれば普通、有限性の思考にとらわれる。なぜなら私の目に映る、他者の人生は、私にとって有限だからである。私達は、テレビドラマ、映画、伝記などを通じて他者の人生に触れる。これらの媒体にはどれも始まりと終わりがある。映画なら、フィルムが回り始めた瞬間が始まりであり、フィルムが止まった瞬間が終わりである。それらは時間的に完結している。
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2005/07/05 02:16 |
続けるか、終わるか
あなたも一緒に考えてほしい。永遠に滅びることなく自分を保ち続けていたいか。それとも、それはあまりにもしんどいのでどこかでストップし「無」に帰するか。どちらがましか。
自分が「無」になってしまうということを想像するのは苦しい。突然テレビのコンセントが抜かれたように、ブチンッという鈍い音とともに世界が終わる。それは全く想像できないのだが、「無」を思うとき、深い深い谷の奥の闇を覗くような恐ろしさが感じられる。逆に、永遠の魂であることも拒否したい。ゴールがないと言われたマラソンに参加しているような...
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2005/07/03 00:38 |